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尻矢(しりや)は日本海軍の給油艦〔。知床型の6番艦で〔、艦名は青森県・下北半島北東の尻矢埼による〔#日本海軍艦船名考pp.257〕。 == 艦歴 == 1918年(大正7年)度の八六艦隊案で計画され、横浜船渠で1922年(大正11年)2月8日に竣工、横須賀鎮守府籍となる。当初の予定艦名は野母(のも)であったという〔片桐, 586ページ。〕。平時は海外からの重油輸送に従事した。 尻矢は1941年(昭和16年)10月15日に連合艦隊付属に編入された。11月27日〔嶋崎, 31、32ページ〕、第七駆逐隊(小西要人大佐〔のちに空母雲龍艦長。1944年12月19日戦死〕)の駆逐艦潮と漣に対する補給艦任務のため館山を出撃、第七駆逐隊は真珠湾攻撃の支援作戦であるミッドウェー島砲撃を行うが、第七駆逐隊より速力が遅いので常に先回りして会合点に進出する事となった〔嶋崎, 32ページ〕。12月4日と6日に洋上補給を行ってミッドウェー島に向かう第七駆逐隊と別れ、次の会合点へと移動〔嶋崎, 34、36ページ〕。砲撃を終えて帰投する第七駆逐隊と12月10日に再合流し、翌11日に洋上補給を行った〔嶋崎, 40ページ〕。12月17日にも洋上補給を行う予定だったが、潜水艦騒ぎと怪船舶 - 正体は輸送船浅間丸(日本郵船、16,975トン) - 騒ぎのため補給は中止となった。尻矢は12月22日に柱島泊地に入港し、呉海軍工廠で整備を行った。 整備完了後、尻矢は1942年(昭和17年)1月20日に横須賀を出撃して北方に進出、大湊、釧路、厚岸で特設監視艇に対する補給任務に従事した。6月30日から8月10日まで函館船渠で入渠、修理を行い9月にかけてトラックへの輸送任務に当たった。10月からは昭南(シンガポール)への輸送任務に2回従事した。1943年(昭和18年)1月16日に呉を出港し、7月までバリクパパン、スラバヤ方面での輸送任務に従事した。尻矢は7月19日に横須賀に入港後、横浜船渠で入渠修理を行った。8月9日に横浜港を出港し、輸送船団に加入して門司、馬公、サンジャックを経由して9月2日に昭南に到着した。尻矢は9月5日、輸送船団に加入して昭南を出港し、サンジャックを経由して9月18日に馬公に入港した。 9月20日、尻矢は臨時B船団に加入して馬公を出港し、駆逐艦朝顔の護衛を受けて日本本土に向かった〔『(第一海上護衛隊)戦時日誌』pp.28 、駒宮, 89ページ〕。ところが翌21日夜、の地点〔駒宮, 89ページ〕にさしかかったところでアメリカの潜水艦トリガー (''USS Trigger, SS-237'') の魚雷攻撃を受けた。トリガーは浮上したまま尻矢に攻撃を仕掛け〔「SS-237, USS TRIGGER」P.153,155〕、尻矢は最初の攻撃による魚雷が命中して大爆発を起こし、瞬時に沈没した〔「SS-237, USS TRIGGER」P.153 、駒宮, 89ページ〕。同年12月1日に除籍された〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尻矢 (給油艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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